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抗癌剤治療しながら、ギリギリまで働き詰め・・・そんな最期はせつなすぎる

フリーターの息子のために、生活保護が受けられない!

50代の男性、Kさんは胃癌宣告を受けて抗癌剤治療をしていました。
抗癌剤治療が進むにつれ、吐き気と手のしびれがひどくなりました。
仕事をしていたというKさんですが、手術と抗癌剤治療を受けた後は、ガリガリに痩せてしまいました。
これでは、それまで通りの仕事は務まりません。

Kさんは、事務職に転向しました。
具体的にどんな作業に従事していたかはわかりませんが、病院に職場の人がよく来ていましたから、人望は厚かったのだと思います。
入院の日に、職場の人が連れて来てくれたこともありました。

Kさんには、奥さんがいません。
Kさんがまだ40代の頃に、病気で亡くなってしまったそうです。
私はてっきり男性の独り暮らしかと思っていましたが、2人も息子がいたのです。

ムンテラをするときも、いつも1人でした。
調子が悪いときにも、付き添って来たこともありませんでした。
長男は、既に結婚して家から出ています。
しかし次男は、20代後半ですが定職につかず、Kさんの家に住んでいました。

抗癌剤治療を開始すると、仕事を続けられなくなって退職する人も大勢います。
当院治療中で別の独身の60代男性は、生活保護を受けることにしました。
副作用で仕事ができないし、迷惑をかける家族もいないからです。
生保の認定を受ければ、治療費は自費請求分を除けばタダになります。
食事も水分も摂れなくて大変な時には、入院して点滴を受けることもできます。

ところがKさんは、働き続けました。
よくできるな・・・というくらい、フラフラの状態まで出勤していました。
実質仕事ができていたのかはわかりませんが、仕事を続けていたのは確かです。

なぜKさんが、見ている側も辛くなるくらいの状態でも働き続けたかというと・・・自宅にいる、フリーターの次男のためでした。
自分が仕事をして稼がなければ、治療費を払えない。
子供は治療費どころか、自分の生活も自立していない。
生保になれば楽だけれど、自宅を手放さなければならない。
自分が死んだあと、息子に家を遺してあげられなくなってしまう。

だから、Kさんは50代にして抗癌剤治療を受けながら転職し、生活保護も受けず、ギリギリまで働き続けたのです。

人間って、本当に亡くなるギリギリまで働けるものなのでしょうか?
私なんて調子が悪くなってしまうと、すぐに有給もらって休んでしまいます。
私も持病といえるものを抱えている身なので、いつまで働けるかな・・・と不安になることもあります。
でも、ギリギリまでは働けないと思っています。

しかしKさんは、ギリギリまで働きました。
最期の入院のときは、フラフラしながら荷物を持ってロビーに入って来たKさんを見つけ、車椅子に乗せて病棟まで送っていきました。

その日の午後、長男へ主治医がムンテラをしました。
もう痛みもひどいので、麻薬の量を増やしますと。
ボーっとしてきて、呼吸も大変になってくるかもしれません。
そうしたら今度は薬で眠らせることになるが、眠ったらもう話すことはできなくなるし、眠ったまま亡くなるだろうと。

長男は次男を呼びました。
初めて病院に次男がやって来ました。
・・・唯一の同居家族なのに。

結局、翌日の夕方にはセデーションが開始され、そのまま亡くなりました。
最期の在院日数は、2日です。
しかも、入院前日まで仕事をしていたということです。

子供のために、働かなくては・・・。
Kさんは、そのために亡くなる2日前まで、痛みをこらえて働きました。

そんなKさんのことを、次男は同じ家の中にいて何も知らなかったのです。
病院にかかっていることは知っていたのでしょうけれど、こんなに悪いとは思っていなかったのです。
亡くなった時、前日まで顏を合わせていたはずの次男が泣き叫び、スタッフに怒声を浴びせたそうです。
その息子の対応がとても大変だったと、又聞きに知りました。

Kさんは胃癌を発症してから、おだやかに過ごせた日があったのでしょうか?
亡くなるときには、おだやかに、静かに、苦しまず逝きたい・・・誰しもが願うことだと思うのです。

ところがKさんは、最後まで働き詰めで亡くなりました。
それも、息子のためにと働いていたのに、その息子はいよいよという時になって初めて病気のことを知ったのです。
せつなくて、やりきれなくなってしまう症例でした・・・。