夜勤の引き際



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4 年目:20代にして、夜勤撤退!!

早すぎる!?夜勤が限界に

4年目というと、26歳。まだまだ20代半ば、やっと1人分の仕事ができるようになって来た頃。
異動も思ったよりもうまく溶け込めて、仕事が少し気楽にできるようになりました。独身だからお金も時間も、仕事以外は自由に使えたし、夏休みには海外旅行にも行きました。
こんなノッてる状態だと思っていた私が、次の試練を迎えることになりました。
夜勤に限界が来たのです。

周囲とそこそこうまく仕事もできていたし、残業も平気でした。夜勤も月に10~12回こなしていましたね。今年15年目を迎える私ですが、今までで一番高い年収を得ていたのも、この4年目です。
それだけ残業も夜勤も、病院に求められるままにやっていました。自分自身、それが当たり前だと思っていましたし。
公立病院ということもあって、病棟スタッフは正規職員のみで、みんなが同じように月に10回前後の夜勤をこなしていたし、土日祝日の勤務も残業もしていた。
だから、私の中では決して働き過ぎだとは思ってもいなかったのです。

4年目の秋になって身体に異変が出てきました。
1日中ぼけーっとしているのです。正確には、自分ではボケっとしているつもりはないのですが、ふっと意識が飛ぶのです。
最初に感じたのは、深夜明けで帰宅するとき。運転中、信号待ちの短い間で眠るようになりました。仕事内容だけでいえば、脳外科時代の方がよっぽど体位交換も多かったし、なかなか深夜明けでも返してもらえなかったし、辛かったはずなのに・・・。

それでもしばらくはただ「疲れてるだけ」と思って過ごしていましたが、次の段階に進みました。深夜に出勤するときに居眠りをしたのです。
当時の病棟は、日勤と深夜は必ずセットになっていましたから、確かに日勤深夜で身体はしんどい。でも、深夜あけではなくて深夜への出勤中に、信号待ちで眠ってしまったのです。
気づいた時には、ブレーキから足が離れていて前の車にぶつかったあと。すぐにお互い路肩に寄せて止まりましたが、そんなにすごいぶつかり方ではなく、なんと相手もこれから夜勤で急いでいるということで、何もなく終わりました。

このころからなんとなく、夜勤が合わない・身体が追い付いていないのではないか、と感じるようになりました。
しかし、このあと更に自分でもショックな出来事が。深夜での仕事中に意識がとんだのです。意識消失ではありません。ボケっとしていて記憶にないのです。

ある日、深夜で交代してすぐに、患者が痙攣を起こしました。ほんのわずかの時間で止まったと思いますが、当時いた病棟は呼吸器内科ですから、痙攣というのは珍しいことです。
私は当番の医師に報告し、アレビアチンの指示を受けました。私は前病棟が脳外科でしたから、抗痙攣薬はよく使っていました。でも、ここは呼吸器。しかも、痙攣予防ではなくて、実際に痙攣を起こした直後です。
ところが、ドクターコールした後で受話器を置いたとき、ふと我に返ったんです。「あれ、今なにしてたっけ?」って。痙攣発作の報告をして指示を受けていたような気がするけど、どうも夢の中のようにぼんやりした記憶でしかない・・・。

まだ準夜さんが残っていたので、私は自分が今電話で何を話していたか確認しました。確かに、当番医師に連絡してアレビアチン1A+生食100ml点滴の指示を受けていました。前後の生食フラッシュまで復唱していたそうですが、覚えていません。
その時はとにかく指示通りに動き、夜勤を終えました。もちろん、変な質問をされた先輩は、随分心配してくれました。そして、私はこれを機に、夜勤を辞めることに決めました。

やりたいのと、やれるのとは違う

夜勤というのは、本来自然な働き方ではありません。いくら頑張ろうと思っても、身体がそれに順応しない場合もあるのです。私のように。
日々そりゃあ辛いこともありましたけど、夜勤そのものが嫌ではなかった。夜勤明けに病棟から出た時の太陽の眩しさといったら、なんとも言えない解放感です。

しかし、交通事故に加え自分が何をやっているのかもわからなくなってしまっては、いつ大きな事故を起こすかわかりません。交通事故も、医療事故も、何を起こしてもおかしくないと思ったのです。
とくに夜勤では、他に2人しか人がいませんから、日勤ほどのチェック機能が働きません。DMの人のスライディングスケールなどはダブルチェックしてもらいましたが、私の場合、(このトレーに乗っている点滴を、間違った人にしかねないな・・・)と思ったのです。これは、日勤でも言えることですけれど。

公立病院においては、夜勤をする・しない問わず階級で給料が決まっていますから、正規職員は皆一律同じ条件なのです。ただ、現場が外来や透析だと夜勤はありませんでしたが、基本的に独身者が行くような場所ではないし、認められるはずがありません。
そうなると、もう夜勤からはずれる=病棟から外れる=戦線離脱という公式が自分の中に出来上がりました。師長に退職願いを出したいと申し出ました。

突然のことに師長もびっくりしていましたけれど、事情が事情だけに、上に相談してくれました。
そして私は、26歳・独身にして、外来で働くことになったのです。

今振り返っても、やはりあそこが引き時だったと思います。おかげで大きな事故に発展することはありませんでしたから。
そして、「夜勤をやりたいのとやれるのは別物である」こと、「夜勤をしない人が怠け者なのではなく、できる人がすごいのだ」と感じるようになりました。
最初は、20代でしかもなんかはっきりしない体調不良のせいで外来に降りたため、ある種逃げてきたかのような気持ちになっていました。実際に周りもそのように思っていたことでしょう。

でも、一番大切なのは、看護師として働き続けること。それも、安全に、健康に。
あの時の選択は今でも間違いではなかったと思います。
無理して病院から求められるままに働くのではなく、身体の声に耳を寄せて、その時その時働ける場を探すことが大切です。おかげで私は、出産を経たあともキャリアをとだえさせることなく、今も正規として働き続けていられるのです。

 



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